荒廃した大きな寺があり、勧修寺とあつて、この寺は醍醐天皇が御生母藤原胤子のみまかりたまふたのを悲しみ、陵のかたはらに一宇を建立して、朝夕菩提を弔はせたまふたものであるといふ。
さういふ建札が立ててあつた。
また足にまかせて竹藪の多い田舎道を暫く歩くと、随心院といふ寺があり、このあたりは小野の里とも言つて、小野小町の住んでゐた地であるといふ。
荒廃した大きな寺があり、勧修寺とあつて、この寺は醍醐天皇が御生母藤原胤子のみまかりたまふたのを悲しみ、陵のかたはらに一宇を建立して、朝夕菩提を弔はせたまふたものであるといふ。
さういふ建札が立ててあつた。
また足にまかせて竹藪の多い田舎道を暫く歩くと、随心院といふ寺があり、このあたりは小野の里とも言つて、小野小町の住んでゐた地であるといふ。