伝記によれば、借金に追はれ、筆記の速力では間に合はなくなつて速記者を雇つたのだと言はれてゐるが、それも重要な理由ではあらうが、又ひとつには、さうすることが、彼の小説を損はず、むしろ有益であつたからに他ならないと思ひたいのだ。
あの旺盛な観念の饒舌や、まはりくどくても的確な行き渡り方を読んでみると、筆記では、もつと整理が出来たにしても反面多くを逃したに相違なく、速記によつてのみ可能であつた効果を見出さずにはゐられない。
私達は、自分で速記するよりも、他人をして速記せしめる方が、より良く自らの想念の自由な動きを失はないに相違ない。