一揆は島原半島で爆発したが、農民だけでは収まりがつかなくなつて、天草の切支丹組に助勢をもとめ四郎を大将として原の廃城にたてこもることゝなり、一揆は、切支丹の色が濃くなつた。
結局、最後には、切支丹反乱の形態になつたのである。
徳川時代には、島原の乱といへば、切支丹騒動と一口に言つた。
一揆は島原半島で爆発したが、農民だけでは収まりがつかなくなつて、天草の切支丹組に助勢をもとめ四郎を大将として原の廃城にたてこもることゝなり、一揆は、切支丹の色が濃くなつた。
結局、最後には、切支丹反乱の形態になつたのである。
徳川時代には、島原の乱といへば、切支丹騒動と一口に言つた。