父レオ小右衛門、母クララは共に殉教者であつた。
彼は有馬のセミナリヨで勉学し、特にラテン語にその天才を現したが、一六二二年大殉教の年、二十二歳でマニラへ渡り、アウグスチノ会の司祭に補せられた。
金鍔次兵衛は日本の渾名で、教会の記録ではトマス・デ・サン・オウグスチノとよばれてゐる。
父レオ小右衛門、母クララは共に殉教者であつた。
彼は有馬のセミナリヨで勉学し、特にラテン語にその天才を現したが、一六二二年大殉教の年、二十二歳でマニラへ渡り、アウグスチノ会の司祭に補せられた。
金鍔次兵衛は日本の渾名で、教会の記録ではトマス・デ・サン・オウグスチノとよばれてゐる。