大村領戸根村脇崎の塩焼が次兵衛を山中にかくまつてゐるといふ密告があつたので、大村藩はこゝに総動員を行つた。
大村藩所蔵の「見聞集」によれば、家老大村彦右衛門を大将に、少数の城内留守番を残して、士分は言ふまでもなく、足軽から土民に至るまで、十五歳から六十歳に至る全人口をかり集めたのである。
そのうへ、佐賀、平戸、島原の三藩から援軍をもとめ、長崎浦上から大村湾一帯にかけて山関を張り、一歩一人の列を守つて山狩りをはじめたのである。
大村領戸根村脇崎の塩焼が次兵衛を山中にかくまつてゐるといふ密告があつたので、大村藩はこゝに総動員を行つた。
大村藩所蔵の「見聞集」によれば、家老大村彦右衛門を大将に、少数の城内留守番を残して、士分は言ふまでもなく、足軽から土民に至るまで、十五歳から六十歳に至る全人口をかり集めたのである。
そのうへ、佐賀、平戸、島原の三藩から援軍をもとめ、長崎浦上から大村湾一帯にかけて山関を張り、一歩一人の列を守つて山狩りをはじめたのである。