十二月六日のくだりを記録によつて調べると、原城では十二月朔日に立籠つた一揆軍が矢狭間を明け堀をほり、この工事が完成して妻子を城内へ引入れた日であり、その翌日には天草甚兵衛が手兵二千七百をひきつれて入城してゐる。
一方、討伐の上使松平伊豆守は、やうやく箱根を発足し神原に泊つた日であつた。
箱根は終日豪雨であつたさうだ。
十二月六日のくだりを記録によつて調べると、原城では十二月朔日に立籠つた一揆軍が矢狭間を明け堀をほり、この工事が完成して妻子を城内へ引入れた日であり、その翌日には天草甚兵衛が手兵二千七百をひきつれて入城してゐる。
一方、討伐の上使松平伊豆守は、やうやく箱根を発足し神原に泊つた日であつた。
箱根は終日豪雨であつたさうだ。