僕は、必ずしもこの判定が不当だとは考へてゐない。
なぜなら、詩人自らがさう判定して、自らの限界を立派に示し、その判定にあてはまるやうな仕事を示してゐるからである。
だから、もし、五十六十に及んで、年齢と共に人性観照の深さを示し、二十三十にして到底及びがたい詩境を示してくれる詩人が現れゝば、木の葉詩人や木の葉詩論が一掃されることも請合ひだ。
僕は、必ずしもこの判定が不当だとは考へてゐない。
なぜなら、詩人自らがさう判定して、自らの限界を立派に示し、その判定にあてはまるやうな仕事を示してゐるからである。
だから、もし、五十六十に及んで、年齢と共に人性観照の深さを示し、二十三十にして到底及びがたい詩境を示してくれる詩人が現れゝば、木の葉詩人や木の葉詩論が一掃されることも請合ひだ。