見たり聞いたりしたことを特定の自家の生活として規定してゐる次第である。
だから、歴史といふものは日記の手のとゞかない所にあるのだらう、と、今、考へてみたのだが、然乍ら、さう考へると、「現代」そのものが歴史でないと誰が言へる。
誰が現代を見てゐるか、自分の家と会社と往復の道とオデンヤぐらゐのものではないか。
見たり聞いたりしたことを特定の自家の生活として規定してゐる次第である。
だから、歴史といふものは日記の手のとゞかない所にあるのだらう、と、今、考へてみたのだが、然乍ら、さう考へると、「現代」そのものが歴史でないと誰が言へる。
誰が現代を見てゐるか、自分の家と会社と往復の道とオデンヤぐらゐのものではないか。