近頃は文学以外の場所で日本的道義の確立といふことが頻りに論ぜられてゐるけれども、この事も亦、近代日本文学が自ら負はずにはゐられなかつたシメールのひとつで、日本的モラルの確立は若い作家の命とりの癌であつた筈なのだ。
ところが戦争このかた、文学の領域では却つてこの問題に対する精彩を失ひ、独自なる立場を失ひ人の後について行くだけが能でしかないといふ結果になつてゐる。
指導原理が違ふから仕方がないと云へばそれまでだが、「日本的」なる懐疑と建設への先駆者たる文学が独自なる立場を失ひ徒らに迎合を事とするといふのは情ない。