然し、彼等の堂々たる死に方には実際感動すべきものがあるのであつて、始めのころは斬首や磔であつたが、その立派な死に方に感動して首斬りの役人まで却つて切支丹になる者がある始末、そこで火炙りを用ひるやうになり、それも直接火をかけず、一間ぐらゐ離れた所から灸るやうにし、縄目をわざと弛めておいた。
といふのは、彼等が見苦しく逃げ廻つたりすることの出来る余地を与へるわけで、見物にまぎれて刑場をとりまいてゐる信徒達に彼等の敬愛する先輩達の見苦しく取りみだした様をみせつけて改宗をうながすよすがにするためであつた。
この火炙りにかゝると一時間から三四時間生きてゐるのが普通であつたが、見苦しく取りみだして逃げ廻つたりするのは極めて稀れで、大概は身動きもせず唯一念に祈念の声を放ちつゞけて堂々と死に、その荘厳さに見物人から多数の切支丹になる者が絶えなかつた。