彼が茶の湯をやりだしたのは保身のため、秀吉への迎合といふ意味があつたが、やりだしてみると、秀吉などとはケタ違ひに茶の湯が板につく男だ。
小田原陣が終つて京都に帰つた頃はいつぱしの茶の湯好きで、利久や紹巴などゝ往来し、その晩年は唯一の趣味の如き耽溺ぶりですらあつた。
一つには、彼の棲む博多の町に、宗室、宗湛、宗九などといふ朱印船貿易の気宇遠大な豪商がゐて茶の湯の友であつたからで、茶の湯を通じて豪商達と結ぶことが必要だつたせゐもある。
彼が茶の湯をやりだしたのは保身のため、秀吉への迎合といふ意味があつたが、やりだしてみると、秀吉などとはケタ違ひに茶の湯が板につく男だ。
小田原陣が終つて京都に帰つた頃はいつぱしの茶の湯好きで、利久や紹巴などゝ往来し、その晩年は唯一の趣味の如き耽溺ぶりですらあつた。
一つには、彼の棲む博多の町に、宗室、宗湛、宗九などといふ朱印船貿易の気宇遠大な豪商がゐて茶の湯の友であつたからで、茶の湯を通じて豪商達と結ぶことが必要だつたせゐもある。