時尭からは一物を将軍に献上したから、足利義輝は近江阪田郡国友村の藤二郎に百貫の知行を与へて製造に従事させ、国友村は後日信長の手に移り、技法発達して、信長の天下を将来した。
鉄砲が実戦に使用されたのは十二年後、信玄が川中島で三百挺用ひたのが最も早い一つであつたさうである。
信玄は戦術の研究家で、各種兵器を機能に応じて適所に使用し、各種兵器の単位を綜合して合理的に戦力を組織するといふやり方だつたので、新来の武器を見逃す筈はなかつた。
時尭からは一物を将軍に献上したから、足利義輝は近江阪田郡国友村の藤二郎に百貫の知行を与へて製造に従事させ、国友村は後日信長の手に移り、技法発達して、信長の天下を将来した。
鉄砲が実戦に使用されたのは十二年後、信玄が川中島で三百挺用ひたのが最も早い一つであつたさうである。
信玄は戦術の研究家で、各種兵器を機能に応じて適所に使用し、各種兵器の単位を綜合して合理的に戦力を組織するといふやり方だつたので、新来の武器を見逃す筈はなかつた。