しかし、それも舞いの手のようなもので、調多羅坊の奥の手をしのぶことはできないのである。
しかし村のジサ、バサの言うところによると、なんでもないナギナタの舞いのように見えて、しとやかに、やさしく、美しく、あでやかな差す手引く手にすぎないが、この奥には無限の修錬がつまれていて、ミコサマはナギナタの奥儀に達し、そこに至るまでには、実に泣き、血を吐かんばかりの苦しい修業をつまねばならないのであるという。
ミコサマの生涯は、美しく着飾り、うまい物をたらふく食べて威張りかえっているようであるが、どういたしまして。