真偽は当てにならないが、北上平野は政宗が家臣の領地にも与えなかった直轄の穀倉地帯であり、その産物を運ぶために大運河をほって北上川の河口を石巻にうつしたところを見ると、石巻を物産と運輸の要点と見ていたことは頷けるのである。
政宗も中央の政治家や政策に接して次第に大人になった人だから、後年に至って大坂江戸に匹敵する東北の中心地が石巻だと思いついたかも知れないが、仙台築城当時(一六〇〇年)はまだ田舎豪傑の域をでず、精一パイ勘考して、仙台青葉山を選んだんじゃないかね。
時まさに関ヶ原の年であり、ドサクサまぎれに火事場泥棒しようというコンタンでねりかたまっている政宗であった。