政宗も中央の政治家や政策に接して次第に大人になった人だから、後年に至って大坂江戸に匹敵する東北の中心地が石巻だと思いついたかも知れないが、仙台築城当時(一六〇〇年)はまだ田舎豪傑の域をでず、精一パイ勘考して、仙台青葉山を選んだんじゃないかね。
時まさに関ヶ原の年であり、ドサクサまぎれに火事場泥棒しようというコンタンでねりかたまっている政宗であった。
実際、関ヶ原のとき、彼は上杉を牽制するため東北を動かなかったが、ドサクサまぎれに一もうけしようとしてそのコンタンを家康に憎まれ、戦功に二十万石もらう筈の約束をフイにしているのである。