しかし長禄元年に北朝の刺客がこの村に忍びこんで自天王を殺し、その弟の宮忠義王をも殺した。
本誌の昨年正月号に滝川政次郎氏の文章があるから、私がクダクダしく書くには及ばないでしょう。
応仁の乱に、山名宗全は西陣南帝を擁して北朝の天子をいただく細川方と戦ったが、西陣南帝は乱後に奥州へ落ち、標葉郡沢之邑というところに住んだそうだ。
しかし長禄元年に北朝の刺客がこの村に忍びこんで自天王を殺し、その弟の宮忠義王をも殺した。
本誌の昨年正月号に滝川政次郎氏の文章があるから、私がクダクダしく書くには及ばないでしょう。
応仁の乱に、山名宗全は西陣南帝を擁して北朝の天子をいただく細川方と戦ったが、西陣南帝は乱後に奥州へ落ち、標葉郡沢之邑というところに住んだそうだ。