山背大兄が殺されたのは、書紀では翌三年の出来事になっており、またその年には蝦夷がいよいよ甘梼岡に宮城を構えて自分の住居を上宮門、入鹿の住居を谷宮門とよび、子供を王子とよびはじめたことが書いてある。
すると「入鹿臣□□林太郎」という欠字には、どうやら、天皇的な、それに類する語、蝦夷の私製の特別な語があったのかも知れないが、そういう語がはいっていたのではないかね。
まだ蝦夷も入鹿も天皇ではなかった。
山背大兄が殺されたのは、書紀では翌三年の出来事になっており、またその年には蝦夷がいよいよ甘梼岡に宮城を構えて自分の住居を上宮門、入鹿の住居を谷宮門とよび、子供を王子とよびはじめたことが書いてある。
すると「入鹿臣□□林太郎」という欠字には、どうやら、天皇的な、それに類する語、蝦夷の私製の特別な語があったのかも知れないが、そういう語がはいっていたのではないかね。
まだ蝦夷も入鹿も天皇ではなかった。