わが子親類縁者参謀功臣に至るまでまず一切を疑るということをもって政治の前提としているのだもの、外国勢力をトコトンまで国外追放にしたのは彼の統治方針の結論としては奇も変もない自然なことで、切支丹だからどうこうという、切支丹という宗教の内容に重点のある禁圧ではなかったであろう。
秀吉の禁令の理由が日本は神国であるというような、多少は外国を異端視した国粋思想からの反撥があるのに比べて、家康の方は他の一切を疑り、進歩の一切を排するという警戒万全主義から発した当然きわまる処置の一ツにすぎなかったのである。
だから秀吉の禁令は多分に感情的でもあるから、その激する時は甚しくても、一面に気まぐれで、例外も抜け道もあるけれども、家康の方は算術の答として割りだされたような無感情な結論で、気まぐれも例外も抜け道もない。