長崎港内の造船所のドックにはいりきれずに大きな図体を湾内に露出していたのは「大和」であったらしい。
私はそのとき「島原の乱」を書きたいと思い、それを調べるためにあの地方を二週間ぐらいブラブラしていたのである。
長崎では、毎日図書館に通って、そこにだけしかない郷土史料を筆写していた。
長崎港内の造船所のドックにはいりきれずに大きな図体を湾内に露出していたのは「大和」であったらしい。
私はそのとき「島原の乱」を書きたいと思い、それを調べるためにあの地方を二週間ぐらいブラブラしていたのである。
長崎では、毎日図書館に通って、そこにだけしかない郷土史料を筆写していた。