そこの山腹に現存する横穴の中で、彼は捕えられたのである。
地下へもぐった共産党の幹部にくらべると、金鍔次兵衛の方がシンパも少く、(彼の活躍した時はすでに切支丹の衰亡に近づきつつある時であった)レンラク、レポの組織なども甚だ幼稚であったばかりでなく、後日の彼は長崎を中心とする信徒の最も重要な支配者であり指導者でもあり、逃げ隠れが能ではなくて、最も積極的な街頭進出に、指令に、慰問に、ミサに明け暮れしたのであるが、実に数万人の捜査網をくぐり、九州から江戸の間を股にかけて七年間というもの日本中を騒がしたのである。
彼の生い立ちは日本側には不明であるが、パジェスによれば、ウオマリ(該当する日本の地名不明)の生れ、父はレオ小右衛門、母はクララ・ボキアイ(落合かも知れん)。