寛永十二年(であろう。
他の次兵衛追跡に関する記録の年月日からみて、そう見るのが正しいようだ。
西暦一六三五年)八月、次兵衛が浦上に隠れていると密告する者があって、長崎奉行は四辺の諸藩とレンラクして捜査中、大村領戸根村脇崎の塩焼き(俗に釜司という由)が彼を山中にかくまっているという情報がはいった。
寛永十二年(であろう。
他の次兵衛追跡に関する記録の年月日からみて、そう見るのが正しいようだ。
西暦一六三五年)八月、次兵衛が浦上に隠れていると密告する者があって、長崎奉行は四辺の諸藩とレンラクして捜査中、大村領戸根村脇崎の塩焼き(俗に釜司という由)が彼を山中にかくまっているという情報がはいった。