西暦一六三五年)八月、次兵衛が浦上に隠れていると密告する者があって、長崎奉行は四辺の諸藩とレンラクして捜査中、大村領戸根村脇崎の塩焼き(俗に釜司という由)が彼を山中にかくまっているという情報がはいった。
そこで長崎の両奉行から城主に出動の命令があった。
大村藩では、家老大村彦右衛門を大将に、家士の全員、諸村の代官所属の全員、小給、足軽、長柄の者は言うまでもなく、領内の土民に至るまで、武士も土民も十六歳から六十歳までの男を全部召集。
西暦一六三五年)八月、次兵衛が浦上に隠れていると密告する者があって、長崎奉行は四辺の諸藩とレンラクして捜査中、大村領戸根村脇崎の塩焼き(俗に釜司という由)が彼を山中にかくまっているという情報がはいった。
そこで長崎の両奉行から城主に出動の命令があった。
大村藩では、家老大村彦右衛門を大将に、家士の全員、諸村の代官所属の全員、小給、足軽、長柄の者は言うまでもなく、領内の土民に至るまで、武士も土民も十六歳から六十歳までの男を全部召集。