これは在留の外国人のためのもので、日本人に伝道しては相成らんという約束のものであったが、外人神父の肚の中では、切支丹の子孫がどこかに隠れているはず、いつかはそれを突きとめたい、名乗りでてくれないか、というひそかな願いが第一であった。
すると浦上の村民が十五人ばかり天主堂の見物のフリをしてやってきて、他の見物人の去った時を見すまして、プチジャン神父にちかづき、私たちはあなた様と同じ心であります、と云って名乗りでた。
それが一八六五年三月十七日であったという。
これは在留の外国人のためのもので、日本人に伝道しては相成らんという約束のものであったが、外人神父の肚の中では、切支丹の子孫がどこかに隠れているはず、いつかはそれを突きとめたい、名乗りでてくれないか、というひそかな願いが第一であった。
すると浦上の村民が十五人ばかり天主堂の見物のフリをしてやってきて、他の見物人の去った時を見すまして、プチジャン神父にちかづき、私たちはあなた様と同じ心であります、と云って名乗りでた。
それが一八六五年三月十七日であったという。