その時以来、浦上切支丹の多くは信教の復活に酔っぱらったとでも云うべきか、実に非常に亢奮したもののようだね。
彼らの中の相当数の人々は農耕もうっちゃらかして、九州諸方の隠れ切支丹を嗅ぎ当てては、信教復活の遊説に、頼まれもせず手弁当で巡回して歩くような、悪く云えば宗教タンデキ家的な世話好きが続々現れたようだ。
復活切支丹の先覚たる光栄に酔っぱらったとでもいうのか、山野を忍び歩き人目を怖れ怯えつつ、よその村のイロリ端で神の教えを一席ぶって宗論をたたかわせ説服するのがイヤ面白くてたまらん、というゾッコン打ちこんだ楽しそうな様子がアリアリ見えるようだね。