それから三十余年後の斉明天皇六年(西暦六六〇年)に、こんどは逆に、信濃の東方から西方へ向って群蠅が巨坂を飛びこえたとある。
群蠅が帝都を逃げて田舎に散り隠れる理由がなくなったか、帝都の方で群蠅の帰還助力を必要とする何事かが起ったのかも知れない。
それから四十年ほどの間に斉明、天智、弘文、天武、持統とすぎて次の文武天皇の大宝二年(西暦七〇二年)に美濃と木曾の間に新しく道をつくりました。
それから三十余年後の斉明天皇六年(西暦六六〇年)に、こんどは逆に、信濃の東方から西方へ向って群蠅が巨坂を飛びこえたとある。
群蠅が帝都を逃げて田舎に散り隠れる理由がなくなったか、帝都の方で群蠅の帰還助力を必要とする何事かが起ったのかも知れない。
それから四十年ほどの間に斉明、天智、弘文、天武、持統とすぎて次の文武天皇の大宝二年(西暦七〇二年)に美濃と木曾の間に新しく道をつくりました。