書紀の戦記は近江に当てはめてるから、ハッキリ分りませんが、大友皇子は二十日あまり奮戦の後、粟津で負けて逃げ場がなくなり山前に身を隠してクビをくくって自殺したという。
このとき皇子側には智尊という大将が突如現れて大奮戦していますが、橋のマンナカを切り落して戦ったという。
ヒダに「中切」という地名が方々にあるのは、これと関係があるのでしょうかね。
書紀の戦記は近江に当てはめてるから、ハッキリ分りませんが、大友皇子は二十日あまり奮戦の後、粟津で負けて逃げ場がなくなり山前に身を隠してクビをくくって自殺したという。
このとき皇子側には智尊という大将が突如現れて大奮戦していますが、橋のマンナカを切り落して戦ったという。
ヒダに「中切」という地名が方々にあるのは、これと関係があるのでしょうかね。