つまり今までのヒダ、シナノ間の道が危険で通れなくなったからでしょう。
そして、これによって知りうる他の一ツは、平地の道や川の舟行よりもアルプス越えの道の方が早くできていた、という一事で、ヒダは馬の国だと云われ、ヒダの騨の字はそのせいで後日改められたと云われるぐらいですが、書紀にもスクナの早業という特徴が書き加えられていた如くに、彼らヒダ人はこのアルプスの難路を馬にのって風のように走りまわっていたのではないでしょうか。
そして次の元正女帝に至って、ミノの行宮へ行ってタド山の美泉をのんで、あんまり霊験イヤチコだからと、年号を変えて大赦を行っているのです。