人間に性格があっては、過去の宝塚調は破れてしまうし、それは「人間の劇」になって、「宝塚の劇」というお行儀のよい中性的メルヘンでなくなってしまう。
ともかく今度の「虞美人」に至って、主役の一人がかすかではあるが性格や人間臭をだせるような脚本を扱ったという次第であろう。
もっとも古典劇というものは、型はあっても、性格は没するものであるけれども、宝塚に性格がないのはそれとは違う。
人間に性格があっては、過去の宝塚調は破れてしまうし、それは「人間の劇」になって、「宝塚の劇」というお行儀のよい中性的メルヘンでなくなってしまう。
ともかく今度の「虞美人」に至って、主役の一人がかすかではあるが性格や人間臭をだせるような脚本を扱ったという次第であろう。
もっとも古典劇というものは、型はあっても、性格は没するものであるけれども、宝塚に性格がないのはそれとは違う。