この板ばりは敷居によって左右に開閉できるから、晴天の日はこの塀の戸を左右にあけて、二階に光を採り入れることができる。
ガラス戸や雨戸がないころ、障子だけしかなかったころの産物であろう。
ガラス戸や雨戸が自由にとりつけられる今日でも旧態依然というのは智恵のない感じがするが、これを工夫した当時としては相当の工夫であったに相違なく、ともかく一ツの建築文化を感じさせるし、総体に建物も大きく、延坪から言えば新潟あたりの小作農家の十倍以上はタップリあろうというものである。
この板ばりは敷居によって左右に開閉できるから、晴天の日はこの塀の戸を左右にあけて、二階に光を採り入れることができる。
ガラス戸や雨戸がないころ、障子だけしかなかったころの産物であろう。
ガラス戸や雨戸が自由にとりつけられる今日でも旧態依然というのは智恵のない感じがするが、これを工夫した当時としては相当の工夫であったに相違なく、ともかく一ツの建築文化を感じさせるし、総体に建物も大きく、延坪から言えば新潟あたりの小作農家の十倍以上はタップリあろうというものである。