ガラス戸や雨戸が自由にとりつけられる今日でも旧態依然というのは智恵のない感じがするが、これを工夫した当時としては相当の工夫であったに相違なく、ともかく一ツの建築文化を感じさせるし、総体に建物も大きく、延坪から言えば新潟あたりの小作農家の十倍以上はタップリあろうというものである。
なお、屋根に多くのタクアンの重石のようなものをのせるのは、クギを用いないためであり、つまりクギによる雨モリを防ぐための当時の新工夫であったらしい。
恐らく白川郷的な農村建築が先に在って、その屋根をゆるやかに改めることによって屋根裏の採光を工夫し、ワラぶきを軽いコッパぶきにすることによって積雪時の屋根の重量を軽減し、またクギの代りに重石をのせて雨モリを防ぐことを工夫した、という次第ではないかと考えられる。