蓮の花のひらく音に耳かたむける静寂を知り、一茎の朝顔に丹精こめる喜びを知ることも結構である。
しかし一応しかるべき豪華な食卓を人生当然の喜びと考え、趣味を満足させたり、仕事のあとで遊んだり、好みの着物をきるぐらいのことは理窟ぬきに人間あたり前の生活であり、せめてそれぐらいの生活の楽しさは万人の物としなければならない、と考えるような大らかさも、素直さも、日本庶民の生活史には殆ど見ることが不可能だ。
いつもアキラメが先に立ち、欲することも正しいことだということが庶民生活に素直にとり入れられたことがないのである。