つまり天皇家の祖神の最初の定着地点たるタカマガ原が日本のどこに当るか。
それを考える前に、すでにそれ以前に日本の各地に多くの扶余族だの新羅人だのの移住があったということ、及び当時はまだ日本という国の確立がなかったから彼らは日本人でもなければ扶余人でもなく、恐らく単に族長に統率された部落民として各地にテンデンバラバラに生活しておったことを考えておく必要がある。
つまり今日に於てもウラジオストックからの漂流機雷が津軽海峡のレンラク船をおびやかす如くに、当時に於ても遠く北鮮からの小舟すらも少からぬ高句麗の人々をのせて越や出羽の北辺にまで彼らを運び随所に安住の部落を営ませていたであろうということを念頭にとどめておくべきであろう。