けれども祖神を祭る大神社をもち大部落民を擁する宮司家や大寺はそのためにむしろアベコベに兵火をうけ易かったものである。
それは彼らが広大な荘園をもって繁栄し兵をたくわえる力があったからであるが、それに比べると、コマ家はすでに中世に於て兵をたくわえる力を失い、そのコマ神社も大神社ではなかったせいであろう。
宮司が代々修験道に帰依し半ば山伏ぐらしをしていたというのも、この一族のいかにもノンビリと、また小ヂンマリと名利を超越していた暮しぶりが分るようで、それは中世に於てはじめてノンビリと小ヂンマリとしたわけではなくて、ここに集ってコマ郡をたてた時から地下に没する必要のない孤立性を具えて、はじめから小ヂンマリしていたのではないかと思う。