知ることと、行うこととは違う。
利口な人間は知りたがるし、知っていて正邪を判じる力があり、敢て悪を行わぬところに美点はあるかも知れないが、単に知らぬということは頭が悪いというほかの何物でもなく、長じて知るようになると、純変じてどんなスレッカラシになるか分りやしない。
純などゝいうのはつまらぬ時間の差で、しかも甚しく誤差の起りやすい要素をふくみ、わが子に対してそんな判断で安心していると、長じて忽然と妖怪化して手に負えなくなるのである。
知ることと、行うこととは違う。
利口な人間は知りたがるし、知っていて正邪を判じる力があり、敢て悪を行わぬところに美点はあるかも知れないが、単に知らぬということは頭が悪いというほかの何物でもなく、長じて知るようになると、純変じてどんなスレッカラシになるか分りやしない。
純などゝいうのはつまらぬ時間の差で、しかも甚しく誤差の起りやすい要素をふくみ、わが子に対してそんな判断で安心していると、長じて忽然と妖怪化して手に負えなくなるのである。