もっと智能が生育して、やや低能でなくなれば、そういうことは為し得ないであろう。
同じように悪を憎み正義を愛すにも、自称英雄は政論の正邪を一人のみこみしたあげく殺人という事柄の正邪をさとらず、むしろ自分の行為を英雄的に自負しているほど生蕃的で文明人の隣人らしいところがないが、少年の憎む悪は素朴で直接的で、彼の愛している正しさも、生蕃の神がかり的な手前勝手のものではなくて、あたりまえの素朴な市井的な善ということであったろう。
少年の低能ぶりは、やがてもっと低能ではなくなるだろうし、低能でなくなれば、という救いはあると思われる。