豊富な謝辞で労に報いてそれで美しくすますような習慣の下では、自分が人のために喜んでギセイになろうという生き方の代りに人のギセイでうまいことをしようという詭弁や策や、それをうまく言いくるめた美名だけが発達する。
そしてアゲクには再々大東亜聖戦などということを国民のギセイに於て行うような神がかりの気チガイ沙汰へと発展して行くにきまってるのである。
村の発展は青年のギセイ精神にまたねばならん、などと云うのは、どうせ中年老年どものクリゴトにきまっているが、ギセイの必要あらば、そういう御身らが曲った腰にムチうって自ら進んでギセイたるべし。