そのせいかどうか、それは断定の限りではありませんが、この事件の論証法には犯人の自供の方に主点があり、その他の状況にも疑わしいものがあるけれども、自供に符合する証拠だけをとりあげ、そうでないものは不要なものとして顧みなかったようなところがある。
前掲の事件の概況を記した文章の末尾にちかく、それはこの記事を受けもった新聞社の人の私見かも知れませんが、小林大内両名がなお犯人でないかも知れぬと疑う余地はあったが、一方に、深夜の二時に米を売りに訪問するということは常識では信じられぬ弱点でもあった、と云っております。
しかし、これも、彼ら両名が被害者に売るはずの米は農家から盗んでくる米である。