門下生たちの集りの、自分が生みの親であるが、菊乃さんが育ての親で、一同にしたわれていたなぞと、タワイもないことを仰有っておられるが、そのような王国の雰囲気のたよりなさを身にしみ知る者にとって、このような先生の無邪気さは、たよりなくもあるし、時に甚だ憎らしいものであったと思われます。
しかも先生は、越後長岡の賤の女がその旧藩主の同族たる殿様に招かれるに至るとは名誉この上もなく、死して瞑すべきである、というタテマエであるから、賤の女の心事が分らぬにしても、論外である。
先生自身は菊乃さんを得て老後の切実な生活問題も解決して、解決以上に大満足を得て、安定し、たのしかったであろう。