その教養の根幹は何かというと、はからずも華頂氏が思索の果に見出した「真の自由は自律的には不自由である」ということが、実は宮様の場合には思索の果にあるのではなくて、宮様という生活自体が自由の不自由さを根としているのではないでしょうか。
宮様にもいろいろであるが、宮様という生活を正しくマトモに経てきた宮様、つまり一番宮様らしい宮様という方々は自由の不自由さを正しく味うのがその課せられた生涯であって、結局老年に至るとジオゲネスよりもハッタリなく淡泊ライラクな原人的人物が完成するように思う。
しかし、人さまざまと同じく宮様もさまざまに極っているから、その課せられた宮様の生き方を正しくマットウに生きる人が全部だとは云えない。