犯罪の弁論だの判決というものも、ここまでは文学同様常識であり、その上に成り立っているものであろう。
文学は可能性の探求である、と一言にして云いうるかも知れないが、文学にもいろいろ流儀があって、性格の可能性を探す人もあろうが、むしろ人間の可能性ということの方が大事であり主流と申すべきであろう。
性格の可能性ということならば、それが環境や偶然の諸条件に支配されるにしても、性格に内在する可能性の多少が、諸条件に積極的に作用する力もあって、そのような必然的なもの、既知的のものは、文学上の探求と関係しないものである。