海辺の山々ではかなり高いところでもまだススキが一面に白い穂をうちふっているような南国日向であるが、奥地になるとさすがに寒く神社での夜明けは一面に霜がおりていた。
神武天皇についても神話もしくは伝説として受けとる以外に仕方がないものであるが、この地方の霧島の一峯たる高千穂峯にも高天原の伝説があり、ここと高千穂町とで高天原の本家争いをしたのは江戸の頃からであったらしい。
そしてそれは明治初年にも大そうな論争になって文部省から役人が出張したりしたそうだが、伝説を史実とみての争いであるから両者にそれぞれ大きな無理があって、論争それ自身が日本の悲劇を物語るかのようである。