そしてそれは明治初年にも大そうな論争になって文部省から役人が出張したりしたそうだが、伝説を史実とみての争いであるから両者にそれぞれ大きな無理があって、論争それ自身が日本の悲劇を物語るかのようである。
ついには戦時に八紘一宇の塔というものができて宮崎は戦争中の聖地ともなった。
この塔が戦後には平和の塔と改称して八紘一宇の字をけずり、また四方に立つ四つの神像のうち武神の像をおろしたが、その工事中あやまって武神の首が落ち修理不能で今もってその像は姿を現すことができないことになってしまった。
そしてそれは明治初年にも大そうな論争になって文部省から役人が出張したりしたそうだが、伝説を史実とみての争いであるから両者にそれぞれ大きな無理があって、論争それ自身が日本の悲劇を物語るかのようである。
ついには戦時に八紘一宇の塔というものができて宮崎は戦争中の聖地ともなった。
この塔が戦後には平和の塔と改称して八紘一宇の字をけずり、また四方に立つ四つの神像のうち武神の像をおろしたが、その工事中あやまって武神の首が落ち修理不能で今もってその像は姿を現すことができないことになってしまった。