銘々の部落に似たものがたくさんできたということも、それをつくった彼らの無邪気さ、ノンキさと見ることができようではないか。
それを史実化しようという無理が日向の無邪気で大らかな説話を殺してしまい、そして日本を悲劇の国にしてしまったのだ。
阿蘇にちかい高千穂の町にしても、高千穂神社の祭神は高千穂太郎という郷土的な神であって、それがいわば高千穂族とでも云うべき日向山中の神楽を伝承する村々の本来の神であったことは、この山中へ来てみれば分ることだ。
銘々の部落に似たものがたくさんできたということも、それをつくった彼らの無邪気さ、ノンキさと見ることができようではないか。
それを史実化しようという無理が日向の無邪気で大らかな説話を殺してしまい、そして日本を悲劇の国にしてしまったのだ。
阿蘇にちかい高千穂の町にしても、高千穂神社の祭神は高千穂太郎という郷土的な神であって、それがいわば高千穂族とでも云うべき日向山中の神楽を伝承する村々の本来の神であったことは、この山中へ来てみれば分ることだ。