その時間の魔手も盗人の魔手も日向の古墳にだけは及ばなかったということは、やはりそこに神々の土地という伝説があってそれが支えとなっておのずから郷土がまもられてきた、またおのずから郷土をまもってきた、そのはたらきと認めるのが至当ではないかと思う。
しかし日向の人々がわがふるさとを神々の土地として愛し護ってきた在り方というものは今日の日向が聖域として俗をたち伊勢の聖域のようにまもられようとしているのに比べて、彼らのウブスナ、むしろ彼ら人間と表裏をなす神格として親しまれるような愛され方であり、それは鵜戸神宮などの俗に徹した信仰の在り方なぞによく表されている。
参道の茶店の婆さんたちはよその土地のパンパンのタックルと同じぐらいの勢いでつかみかからんばかり、あるいは哀願して泣訴のおもかげあるものもあり、だいたい日向もはずれのこの鵜戸の地にこれだけの茶店が参道に並ぶというのが意外なことだ。