そちゃア女房お梅じゃないか、という気取った文句に、わたしゃ隣りのお竹だがね、という長屋言葉の対照と、お梅お竹の対照がいかにも巧みで、またオチが言葉の駄洒落でなく自然なのがよい。
私はこのオチが好きであるから、したがってこの落語も大好きであり、魂かえす反魂丹、というものを忘れられずに記憶していたのである。
中学生のころから忘れない落語であったが、この反魂丹というものがむかし実在し流行した富山の薬の実名だということは富山売薬史を読むまで知らなかった。
そちゃア女房お梅じゃないか、という気取った文句に、わたしゃ隣りのお竹だがね、という長屋言葉の対照と、お梅お竹の対照がいかにも巧みで、またオチが言葉の駄洒落でなく自然なのがよい。
私はこのオチが好きであるから、したがってこの落語も大好きであり、魂かえす反魂丹、というものを忘れられずに記憶していたのである。
中学生のころから忘れない落語であったが、この反魂丹というものがむかし実在し流行した富山の薬の実名だということは富山売薬史を読むまで知らなかった。