この八十町歩から現に二俵供出しているそうだが、供出は水田の所有者が個人的な所有量に応じて為すものであるから、むろん村人の多くは水田を所有しておらず、八十町歩を村人全体に割れば供出どころか二三ヵ月の食い扶持にしかならない。
つまり村人は昔から百姓でありながら自分の食う米を作ることができなかった。
エンエンたる大砂丘にとぼしい畑を耕しつつ、主食を買うか、買う金がなければ米を食わずに生きて行くか、どちらかの貧しい生活をしなければならなかったのである。
この八十町歩から現に二俵供出しているそうだが、供出は水田の所有者が個人的な所有量に応じて為すものであるから、むろん村人の多くは水田を所有しておらず、八十町歩を村人全体に割れば供出どころか二三ヵ月の食い扶持にしかならない。
つまり村人は昔から百姓でありながら自分の食う米を作ることができなかった。
エンエンたる大砂丘にとぼしい畑を耕しつつ、主食を買うか、買う金がなければ米を食わずに生きて行くか、どちらかの貧しい生活をしなければならなかったのである。