つまり角田村は云うまでもなく、弥彦角田周辺の平野が概ね信濃川の土砂によって後年に至って土地をなし、後年に至って人々が移り住んだにひきかえ、角海にはそれ以前の太古から人間が住んでいたと考えられるからである。
その理由として、慶長年間に称名寺というものが角海にできた。
ところが、平野側の村々がこの道もない角海の称名寺の檀家になっており、角海の方が往昔に於ては文化の中心の観を呈しているのである。
つまり角田村は云うまでもなく、弥彦角田周辺の平野が概ね信濃川の土砂によって後年に至って土地をなし、後年に至って人々が移り住んだにひきかえ、角海にはそれ以前の太古から人間が住んでいたと考えられるからである。
その理由として、慶長年間に称名寺というものが角海にできた。
ところが、平野側の村々がこの道もない角海の称名寺の檀家になっており、角海の方が往昔に於ては文化の中心の観を呈しているのである。