そういう生活がつづいては自信を失い、迷うばかりで、ウヌボレばかり先に立ち徒らに力みかえって精進潔斎、創作三昧、力めば力むほど空疎な駄文、自我から遊離した小手先だけ複雑な細工物ができあがるばかり、苦心のあげくにこしらえものの小説ばかりが生まれてくる。
庄吉は近代作家の鬼の目、即物性、現実的な眼識があるから、もとより這般の真相は感じもし、知ってもいた。
そのくせ時代の通念がその自覚に信念を与えてくれず、自信がなくて、彼は徒らに趣味的な文人墨客的気質の方に偏執し、真実の自我、文学の真相を自信をもって知り得ない。