一つも映画にはならなかった。
三ツ目の「黄河」というのは無茶なので、この脚本をたのまれたのは昭和十九年の暮で、もう日本が負けることはハッキリしており支那の黄河あたりをカメラをぶらさげて悠長に歩くことなど出来なくなるのは分りきっているのに、脚本を書けと言う。
思うに専務は私の立場を気の毒がったのだろうと思う。
一つも映画にはならなかった。
三ツ目の「黄河」というのは無茶なので、この脚本をたのまれたのは昭和十九年の暮で、もう日本が負けることはハッキリしており支那の黄河あたりをカメラをぶらさげて悠長に歩くことなど出来なくなるのは分りきっているのに、脚本を書けと言う。
思うに専務は私の立場を気の毒がったのだろうと思う。