一つの工場が二時間の爆撃だから、先ずザッと二十時間かと私は将来の爆撃にうんざりしており、そのそれ弾の一つや二つは私の家に落ちるものだと思っていた。
したがって私は昼間の編隊爆撃がこの工場地帯と分ったら五百米でも千米でも雲を霞と逃げだす算段にしており、兼々健脚を衰えさせぬ訓練までつんでおり、四米ぐらいの溝は飛びこすことも予定していた。
それほど死ぬことを怖れながら、私は人の親切にすすめてくれる疎開をすげなく却けて東京にとどまっていたが、こういう矛盾は私の一生の矛盾であり、その運命を私は常に甘受してきたのである。